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dayday-film-9

自分が高校生の時、大人だけが集まる夜の箱で、かっこいいおじさんやお姉さんがステージに立ち音を奏でるイベントにこっそりと忍び込んだことがある。そこでFUNKをやっていたバンドの歌い手のお兄さんが大声で「ロックンロールイズデッド!」と叫ぶと箱はえらく盛り上がり、オレの横に立っていたおじさんはひどく汚い顔でイェェェェェエエエエェェエェエェエエェェェェェ!と喜んでいた。
イマイチなぜロックンロールイズデッドという言葉でそれだけ盛り上がるのかわからなかったオレは、そのイエェェェエエェェおじさんがうざったくなったので、隅っこのほうに場所を替えて、ただ、ドラムの上手なお兄さんと、下ケツが完全に見えているショートパンツを履いた綺麗なコーラスのお姉さんを交互にひたすら見ていた。

それから14年ほど経った今でも、ロックンロールイズデッドという言葉をチラホラ耳にする。イエェエェエェエェェェエおじさんよりもっと汚い顔になった32歳のオレは、今でもロックンロールイズデッドの本当の意味を知らない。直訳でしか、その言葉を捉えることが出来ない。
このご時世、ググりもヤホりもせずに、知らないまま言うのもアレだが、あえて、平泉成がドラマのエンディング5分前頃シリアスに「奥さん、ご同行願います」というセリフを吐くあのテンションのまま言うが、

ロックは死んじゃいない。

バカ言っちゃいけない。ロックが死んだなんて、誰も信じなければだまされない。
ロックが死ぬ前に、日本から畳が消え、アメリカ人はハッシュドポテトを食べなくなり、世界からメイドインチャイナが完全に淘汰されるはずだ。

世界中を見渡すと、全てはバランスによって成り立っている。
個々の幸せを築き上げることがワールドスタンダードであるなら、
知るかボケもうどうにでもなっちまえというやさぐれた感情を程なく表現したものが無くてはならない。じゃないと、感情や生活のバランスが保てない。幸せばかりだと、実はすごくつまらない人生だったりする。
そのバランスを保つかのごとく、壊すことの気持ちよさや心地よさを一身に背負っている世界レベルの力持ち、キラキラと輝くわけでなく、手垢にまみれる黒ずんだ分銅が、ロックミュージックである。

ロックは気持ちいい。とくに、ロックを演奏する人間は本当に気持ちがいい。
日常で、あんなに馬鹿デカい音の中に自分がいることも無ければ、その音を自分が鳴らすこともほとんど無いからだ。キリキリした堅い音には、非日常がたくさん詰まっている。
でも、その音を聴く人達まで気持ちよくさせるのは、非常にむずかしい。そもそも一歩間違えれば雑音だ。それで気持ちよくなろう、しようと言うのだから、実は他の音楽より敷居が高いのかもしれない。
だから、ロッカーはあの手この手で、スカスカの脳ミソをフル回転させ、時にはマンションやアパートの壁に思い切りケリを入れ、ベロベロに酔っ払って電柱に説教をしながら、音を聴く人々に気持ちよくなってもらおうと日々工夫し、努力する。
誰のものでもないはずのロックを、聴く側とやる側が、互いにバンバン投げ合っている。

僕らdaydayは、以前、777(Three seven)という名前で活動していた。
ハタチ越えたそこらの若造が、随分とアダルトで、艶かしいロックを奏でていた。
若造が紳士淑女をニヤリとさせる音楽をやっていたからこそ、777の存在価値があった。
小僧、やるじゃねえかというボールを投げ返してくれていた。
他のメンバーはそうじゃないと言うかもしれないけど、この原稿を書くオレは、少なくともそう感じるし、感じていた。

でも今、daydayという名前に変わり、メンバーはみな紳士と呼ばれる歳になり、存在そのものが「いろもん」になった今、
もうそんな飛び道具やまやかしが効かないところに立ったことを実感する。
その難しさを、アンプやドラムセットからハジかれる音で感じつつ、そこからまた新しいものを作り上げ、みんなが気持ちいい顔をするロックを投げ続ける。

ロックンロールイズデッドなんて言わなくても、
今はもう50近いおじさんをイエェェェエエェエェエエ!と言わせるだけのものを作り上げていきたいのである。

dayday Drum ヤマグチリョウジ